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木戸駅と Ⅰ


2015-06-28

16木戸駅と 《2015-0628-1140》

楢葉町は、福島第一原発の20 キロ圏内では比較的線量が低く、避難指示解除準備区域となっている。避難指示解除準備区域とは「住民の立ち入りは可能だが夜間宿泊はできない区域」という意味だ。除染も進み、去年(2014 年)6 月には、震災以来閉ざされていたJR 常磐線の広野~竜田駅間も開通した。今、再びこの美しい土地を訪ねてみようと思ったのは、「政府の原子力災害現地対策本部はお盆前には避難指示を解除する方針を掲げ、現在、住民との話し合いが持たれている」との記事(福島民報 2015 年6 月18 日付)を読んだからだ。

15木戸駅と 《2015-0628-1135》

細い雨が降る。今日(2015 年6 月28 日)は日曜日だが人影はほとんどない。除染の作業もお休みだ。奥に住宅が見えた。かろうじて家屋の外観は保っているものの、津波の爪痕は深く刻まれている。

17木戸駅と 《2015-0628-1142》

テトラポットの海岸は想像よりも激しい波が寄せ来る。冬はもっと厳しいのではいか。赤いコーンの先は行き止まりだ。

18木戸駅と 《2015-0628-1154》

雨が少しだけ強くなって来た。車で移動する住民の方と出会う。飼っている鳩に餌をやりに、3 日に1 度、自宅へ戻って来るそうだ。同じ前原地区でも僅かの差で津波を免れた人もいる。自宅のリフォームも終わり、いつでもここに戻る準備はあるという。しかしインフラの整備もまだ、瓦礫の撤去も帰還と並行して行われるという状況には不安を感じているそうだ。


2016-08-02

21木戸駅と 《2016-0802-0744》

2016 年8 月2 日。平日(火曜日)の朝、まだ6 時を過ぎたところだが、広くもない通りを乗用車が次々と通過してゆく。だがその一方で、人の気配があるのは3 軒ほどだ。郵便局も小さな商店も閉鎖したまま。家屋や庭には概ね手が入っているから、おそらく多くの「元」住民の方は、週末を「我が家」で過ごすために、避難先から「自宅」に通うのだろう。ここで生活を再開した人はまだまだ少数のようだ。-「避難指示解除後の町内帰還世帯・人数について」という楢葉町の資料によれば、前原地区では7 世帯14 名が帰還。楢葉町全体の帰還率は8.7% となっている。年代で言えば55 歳以上がほとんどだ。

19木戸駅と 《2016-0802-0700》

福島県内の汚染土などの除染廃棄物について、放射性セシウム濃度が1キロ当たり8000 ベクレル以下であれば、公共事業の盛り土などに限定して再利用する基本方針を環境省が正式決定した。環境省の非公式会合では、同5000 ベクレルの廃棄物が100 ベクレル以下まで低下するには170 年かかる一方、盛り土の耐用年数は70 年とする試算が出ている。

20木戸駅と 《2016-0802-0730》

海岸線はもうすっかり姿を変えてしまっていた。去年まではたどり着けた海岸を高い堤防の基礎が覆い隠し、工事のため立ち入りができない。計画書によれば防波堤の高さは8.7m。堤防の手前には盛り土をして防災林を植えるそうだ。


2018-02-23

22木戸駅と 《2018-0223-0837》

2018年2月23日8時17分。木戸駅では10人ほどの乗客が降りた。ここを訪れるのは4度目。今では地図がなくても歩けるようになった。双葉郡楢葉町前原・山田浜地区は低く平らな土地だ。

23木戸駅と 《2018-0223-0849》

時折小雨が混じる寒い日。この季節に来たのは初めてだ。静かな、そして…何事もなかったかのように時は流れている。ラジオ体操の放送が一日の始まりを告げる。海辺の土地はもともとは畑地だが人の姿は無い。

24木戸駅と 《2018-0223-0947》

駅前の住宅地は人の気配こそ無いが、家は(家屋や庭は)整えられている。避難指示が解除されたにせよ、小さな地区には病院や学校も無く、商店も郵便局も閉鎖されたままであり、定住し生活をしていくことが容易でないことは想像に難くない。震災から7年が経ち、新しい土地で新しい生活を始めた人も多い。現在この地区の居住者は56世帯128人と記載されている。

「木戸駅と Ⅱ」につづく。

木戸駅と Ⅰ

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