4月16日、「Lemon −中根秀夫展」は無事終了いたしました。1週間という短い期間でしたが、望外に多くの方にご来廊頂きましたこと、心から御礼申し上げます。レモンレモンと騒いだせいで、再び梶井基次郎の「檸檬」を手に取ってくださった方がいらしたようで、そのこともとても嬉しく思いました。京都の丸善にの書棚の前に画集を積みかせねて、その上にレモンをひとつ置いてみる。その色彩の鮮やかさ。そしてそこに仕掛けられた「レモン爆弾」。でも、梶井の「不吉な塊」はその先も解放されはしなかった。その死を迎えるまでは。
そういえば、16日晩のお月さまは綺麗でしたね。同じく梶井基次郎の「Kの昇天」という小説のなかで、ジュール・ラフォルグの「月光」の1行が引用されていました。
哀れなる哉、イカルスが幾人も來てはおつこちる。
この詩の全文は『上田敏全訳詞集』で読めます。青空文庫では「牧羊神」の中に入っています。梶井もそれを読んでいるはずです。時は大正末期。窓からお月さまを眺めながら、病床にいる作者が語るのですね。
月光 −ジュール・ラフォルグ(上田敏訳) とてもあの星には住まへないと思ふと、 まるで鳩尾でも、どやされたやうだ。 ああ月は美しいな、あのしんとした中空を 夏八月の良夜に乘つきつて。 帆柱なんぞはうつちやつて、ふらりふらりと 轉けてゆく、雲のまつ黒けの崖下を。 ああ往つてみたいな、無暗に往つてみたいな、 尊いあすこの水盤へ乘つてみたなら嘸よからう。 お月さまは盲だ、險難至極な燈臺だ。 哀れなる哉、イカルスが幾人も來ておつこちる。 自殺者の眼のやうに、死つてござるお月樣、 吾等疲勞者大會の議長の席につきたまへ。 冷たい頭腦で遠慮無く散々貶して貰ひませう、 とても癒らぬ官僚主義で、つるつる禿げた凡骨を。 これが最後の睡眠劑か、どれひとつその丸藥を どうか世間の石頭へも頒けて呑ませてやりたいものだ。 どりや袍を甲斐甲斐しくも、きりりと羽織つたお月さま、 愛の冷きつた世でござる、何卒箙の矢をとつて、 よつぴき引いて、ひようと放ち、この世に住まふ翅無の 人間どもの心中に情の種を植ゑたまへ。 大洪水に洗はれて、さつぱりとしたお月さま、 解熱の効あるその光、今夜ここへもさして來て、 寢臺に一杯漲れよ、さるほどに小生も この浮世から手を洗ふべく候。
追記:これ、自作のレモンのジャムなのですが、ちょっとお月さまのようなスライスが見えますでしょうか。これは先ほどの「レモン爆弾」が閉じ込めてあるのですが、蓋を開けなければ、このままずっと中身を保ち続けることでしょう。あなたの「不吉な塊」が癒されますよう。そしてこの私たちの「くに 」が「不吉な塊」に取り憑かれませんように。