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Lemon

2018-05-01 07:22 レモン, 2023-08-08 06:02 オレガノ・ケントビューティー

今回、去年2022年に発表した「Lemon」というシリーズから1点、前期に展示したオレガノ・ケントビューティーから1点を展示している。「Lemon」は最初は以下のようなコンパクトなステートメントだけがあった。

やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。−梶井基次郎 

「檸檬」は、梶井基次郎(1901年〜1932年)の代表作であり、多くの人に愛される珠玉の逸品だと言えよう。自らを抑圧する得体の知れない「不吉なかたまり」が、果物屋で手にした檸檬ひとつによって解放されるという短編小説で、1925年(大正14年)、梶井が手がける同人誌『青空』の創刊号巻頭に掲載されている。丸善の書棚から取り出した色とりどりの洋画集を積み重ね、その「頂き」に鮮やかなレモンイエロウの爆弾を仕掛ける、というやや子供じみた夢想に遊ぶ梶井の心象世界は、「不吉な塊」が充満する梶井自身の、そして移りゆく時代の日常に、はっとするような色彩を炸裂させる。

Lemon

ただ、去年2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、テキスト自体を見直すこととなり、結果としてそれはとても長いテキストになった。テキストは上のリンク先から読めるが、冊子「うつくしいくにのはなし/理想郷(ユートピア)」をまとめるにあたり、それを再度収録することにした。特に【追記1】に梶井が生きた戦間期から戦前に至る状況を皆さまにも読んで頂きたいと思う。なぜかといえば、この展覧会「うつくしいくにのはなし/理想郷(ユートピア)」は「くに」についての話だからだ。

本展覧会が始まり、程なくイスラエルによるパレスチナへの虐殺が始まった。ヨーロッパとアメリカ、そして日本という国がそのことに対しどのような態度をとっているか。その結果がその後の世界の均衡にどのような影響を与えるのか。100年前の私たちの国について、そして現在の国のあり方について。それは「うつくしいくにのはなし/理想郷(ユートピア)」と無関係ではない。以下に再度引用する。

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追記1.

爛熟する大正文化の「光」の中で、梶井基次郎は音楽を愛し(楽譜も読めたという)国内外の文学に触れ、あるいは銀座で洋食をたしなむグルメ、かつバターは小岩井、紅茶はリプトンのグリーン缶などとこだわりを持ち、丸善や鳩居堂で文房具やフランス製の高級石鹸を手に取る粋人ではあった。一方で、大正末期1925年(大正14年)に発表された「檸檬」の話に戻れば、得体の知れない「不吉なかたまり」に怯える「私」は、不治の病の結核に怯える同じ梶井基次郎自身でもある。前年の1924年に、3歳になる異母妹八重子が結核性脳膜炎で急逝し、さらに取り憑かれた重い「影」に怯えるようになる。

梶井基次郎の父宗太郎は、母ひさとの結婚当初、海運会社で軍需品の輸送の仕事に就いており、日露戦争の特需で潤い日々放蕩な生活を送っていたという。日本はその戦争に勝利はしたが、そのこと以上に西欧列強とアジア、アメリカをめぐる国家間の均衡が大きく揺れ動いた時代でもあった。第一次世界大戦では日英同盟のもと連合国として参戦し、それは結果的に日本の貿易を加速させ、空前の好景気をもたらすこととなる。宗太郎の勤める鉄工所もまた陸軍・海軍工廠こうしょうの特別指定を受ける。このような状況下での家族間のバランスが、梶井の人格形成に抑圧的に働いたことは想像に難くない。

まだ京都に住んでいた梶井にとって、1923年9月の関東大震災はリアルな現実ではなかったようだ。その後東京帝国大学に合格し、東京での交友を広げつつ『青空』での活動に没頭するのだが、時代は否が応でも軍国主義へと傾斜していく。1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御し、即日「昭和」へと改元される。そこからわずか1週間で昭和元年を終え、1927年1月、梶井の「冬の日」(前篇)を載せた『青空』第24号が発行される。「冬の日」では、物語全体が鉛色のトーンに覆われ、過去の記憶に中に時折見える色彩は随分と「遠く」感じられる。文壇はすでにプロレタリア文学であふれていたが、梶井自身は徹底的に「視ること」に集中する一方で、同号に掲載された北川冬彦の一行詩「馬』の「軍港を内臓してゐる」に注目し、激賞する。

1927年6月出版の28号を最後に雑誌『青空』は終刊を迎える。その頃にはもう同人全員が金銭の工面に窮していたわけだ。その後北川冬彦は、詩集『戰爭』(1929年刊行)で脚光を浴びるが、梶井は『文學』11月号にその書評を寄せている。梶井は冷静な筆致で、まずは北川の詩の「意志」を評価する。上述の一行詩「馬」では、「軍港」の二文字が既に「軍港のヴイジョン」を伴っていることを指摘し、加えてその感覚の速度が「物質の不可侵性」を侵す「キュビズム的」な構造を持っていると看破する。梶井はまた、北川の新しい「視野」であり、かつ同時に「苦」をも強いる正体である「階級」の存在を見とめる。梶井自身は自らの「不吉な塊」に「階級」を描くことは無かったにせよ、それが梶井に見えていなかったということではない。「冬の日」は、風景描写と心理描写が分かち難く結びついた小説だが、その視線の先に、労働者の存在をさりげなく描き込んでもいる[9]

1931年(昭和6年)5月、梶井初の創作集『檸檬』が刊行され、ついにその評価を手にするのだが、翌1932年(昭和7年)3月24日に、肺結核に苦しみながら31年の生涯を全うする。作家としての7年の活動期間は、短くも濃密なものだと言えよう。

しかし、梶井の亡くなる直前の3月1日には満洲国が建国され、その後程なく5.15事件が起きる。そんな時代でもあるのだ。

追記2.

2022年。この春はことのほか美しく咲く桜の姿に心を踊らされた。最後にもうひとつだけ梶井の小説から引用する。

桜の樹の下には死体が埋まっている

Lemon—展示のための試論

うつくしいくにのはなしⅢ 理想郷ユートピア
中根 秀夫 /写真

後期|2023年11月4日[土]〜11月29日[水] 
12:00 ~ 18:00  木・金曜は休廊します 

トトノエル gallery cafe 
〒 963-8035 福島県郡山市希望ヶ丘 1-2 希望ヶ丘プロジェクト内
tel. 024-901-9752 駐車場3台あります


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