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理想郷

後期展示も折り返し残り2週間、11月29日(水)までとなります。郡山は皆さまの想像よりは近いのでお越しいただければ幸いです。さて、今回の郡山での展覧会タイトル「「うつくしいくにのはなしⅢ 理想郷(ユートピア)」の核心部分の夜ノ森駅の「桜」と「理想郷」についてのお話です。2021年2月、2022年7月、2023年3月と3度の訪問の手記からどうぞ。

□2021年 2月20日 土曜日
 夜ノ森駅9時50分着。夜ノ森駅を降りたのはやはり自分ひとりだけだ。新しいホームの階段を登り、無人の改札でSuica をタッチし、東口の階段を降りる。気持ちが騒つく。新築の待合所のドアを開け、ベンチに腰をおろし気持ちを落ち着かせる。
 駅から真っ直ぐに伸びる道を歩き始める。路地の入口は全て柵でふさがれている。地震で崩れた家も地震に耐えた家も、無人のまま10年もの間ここに留め置かれていた。線量計の数値を確かめながら歩く。
 夜ノ森は桜の名所だ。通行可能な道路を歩き、北東の角が夜ノ森桜並木の入口となる。春になれば、人々は満開の桜のトンネルに桜吹雪が舞う故郷に酔い、そこに集うのだろう。だが、このバリケードのその先はいまだ居住が許されず、その入口には警備員が常時待機する。
 土曜日にもかかわらず、何台もの大型工事車両とすれ違う。車は「復興」から「復興」へと移動する。帰還困難区域内にできた特定復興再生拠点区域の境界線を、その外周に沿って反時計回りにぐるっと廻る。道の左側には柵があり、右側には柵は無い。自分にはどちらも同じに見える。春の陽気と青空。黄色く朽ちて行く理想郷。閉じられたゲームの中で。
 冷えた待合所でメールをひとつ書く。
 夜ノ森駅13時00分発、原ノ町駅13時36六分着。同駅15時15分発。仙台から来た上り臨時快速列車は、双葉駅も夜ノ森駅も木戸駅も停車せずに、いわき駅からそのまま特急列車となる。
 東京駅18時43分着。Stay out, stay home.

「Stay out, stay home」『ちいさなくに/木戸駅と』より

□2022年7月11日 月曜日
 2時間ほどかけて夜ノ森に到着。
 特定復興再生拠点区域の立ち入り規制が解除された後の2021年2月に、自分も夜ノ森駅を訪れている。今回はバリケードで封鎖されていた桜並木にも立ち入ることができた。除染も進み、壊れた家屋も取り壊されて更地が増えた。この先、町はどう変わるのか。「ゲームセンター理想郷」の黄色い看板はまだ残っている。夜ノ森駅前と大野駅前とを、交互に思い浮かべてみる。

□2023年 3月29日 水曜日
 そう、今回の旅の目的は「桜」なのである。天神岬スポーツ公園を彩る桜色の風景が、ここ山田浜海岸の旧堤防脇からも見渡せる。15時ちょうど。ホテルに戻りチェックインを済ませる。次の下り列車は50分後。まずは夜ノ森駅へ向かい、1時間ほど下見をする。夜ノ森は桜の名所なのだ。
 2020年3月、JR常磐線が全線で開通し、翌2021年2月に初めて夜ノ森駅を訪れた。小さなロータリーはまだ未舗装で砂利が敷かれ、車道と歩道とを赤いコーンで隔てていた。特定復興再生拠点区域とはなったが、通行可能な総計一キロほどの道路上を除けば、路地への入口は全て封鎖されていた。夜ノ森公園側にある桜並木の入口にもバリケードが築かれ、警備員が常駐していた。大きな荷物を背負った不審な旅行者は、町内を巡回する警備会社の車両に監視されていた…のだと思う。
 翌年2022年1月26日、夜ノ森地区全域で立ち入り規制が解除された。同七月に再訪した時には、路地を塞ぐ柵は全て取り払われていた。青々と繁る葉桜の街道に立ち、夜ノ森の春の訪れを想像し、それを一度は見てみたいと思ったのだ。
 16時04分夜ノ森駅着。去年までは壊れた家屋がそのままの姿で残っていたが、今は駅前の区画のほとんどが更地になった。冬枯れのセイタカアワダチソウが、この土地を見守っている。さくら通りから国道六号線に交差するまでの約1キロの区間は、まさに満開の桜のトンネルだ。夜ノ森公園に新しく整備された遊具と、そこに集う家族連れの姿があった。車もみな速度を落とし、桜色に染まる夕暮れの街道を楽しんでいる。一方で桜並木の先には「売地」の看板が立つ。
 夜ノ森駅に戻る。店に掲げられたまま朽ちてゆく「ゲームセンター理想郷」の黄色い看板。駅に一番近い商店に据えられた「桜並木」の看板。それを交互に見比べ、自分には知り得ない往時の町の賑わいに、少しだけ想いを寄せてみる。12年の年月とその重さについて。17時01分夜ノ森駅発。

□2023年3月30日 木曜日
 いつしか町境を越えたようだ。2017年4月、富岡町は9割の地域で避難指示が解除された。一方で富岡町と町界を共有する大熊町で居住制限が解除されたのが2019年。2年のタイムラグ。道なりに進むと私道の入口があり、門柱がぽつりと残されている。丘の上にはかつて知的障害者施設があって、震災後にいわき市内に移転していった。さらにその先には、こちらも移転して廃校となった福島県立富岡養護学校の校舎がある。生徒不在の12年目の春。解体工事が始まろうとしていた。
 4月に満開を迎える桜は学校のシンボルであり、桜の花は地域の春を彩ったのだろう。だが、その木は伐採というよりは、むしろショベルカーでなぎ倒された無慚な姿であった。同校は竜田駅近くの小学校跡地での再開を目指しているという。ささくれだった太い幹の先端から小さな枝が芽ばえ、小さな花を咲かせていた。
 満開の噂を聞きつけたか、昨日よりもさらに多くの人が夜ノ森に集まっていた。人は道路にはみ出し、映える風景を撮影する。地元テレビ局のクルーは、夕方のニュースに届ける上質な「絵」を探している。
 一方で、メインの桜並木を外れると街には人の気配がない。ストリートビューの全方位カメラを搭載した車両が、町内隈なく走り続けている。更地になった土地。取り残された廃屋。「売地」の看板。夜の森地区の避難指示の解除は、2日後の4月1日に迫っている。

□2023年 3月31日 金曜日
 6時02分、富岡駅発下り始発。日程の最終日。もう一度夜ノ森を訪ねることにする。
 夜ノ森の桜並木は、戊辰戦争後の1900年に、旧中村藩士の息子半はんがいせいじゅ谷清寿が農村開発の着手を期して桜の木を植えたことに始まるとある。半谷は実業家であり、衆議院議員を3期務めた人物である。
 自分もプロだから画像処理アプリを使わなくても桜の写真は撮れると思うのだ。だが、ここでの問題はといえば「桜とは何か」というところにある。「ゲームセンター理想郷」の黄色い看板も、上田屋商店の「桜並木」の看板も、おそらく次にこの地を訪れた時には存在していないに違いないのだ。何かを得ることは何かを失うことだ。そこにある距離感こそが物語の本質である。6時46分夜ノ森駅発。
 6時51分富岡駅着。ホテルに戻り、無人のレセプションにカードキーを戻す。坂を下り、再び丘の上に咲く満開の桜を眺める。
 8時30分富岡駅発。9時09分いわき駅着、終点。階段を登り、急いでホームを乗り換える。いわき駅9時20分発特急ひたち8号に乗車。11時35分上野駅着。

うつくしいくにのはなし/理想郷(ユートピア)

2023-03-30 13:30/富岡町夜ノ森

2023-03-30 13:45/富岡町夜ノ森駅前

うつくしいくにのはなしⅢ 理想郷ユートピア
中根 秀夫 /写真

後期|2023年11月4日[土]〜11月29日[水] 
12:00 ~ 18:00  木・金曜は休廊します 

トトノエル gallery cafe 
〒 963-8035 福島県郡山市希望ヶ丘 1-2 希望ヶ丘プロジェクト内
tel. 024-901-9752 駐車場3台あります


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