オリンピックが開催されるはずだった2020年、TOKYOとFUKUSHIMAの非対称性について考えている。コロナ禍に際し、両者にはますます隔たりを感じる。震災と原発事故の当事者ではなく、しかし同時に福島から送られて来る電気を無自覚に消費し続けた当事者として、この小さな過疎の地を通して考え続けること。そして美術家として、その事実に自覚的であり続けること。「傷」や「痛み」について何度でも問い直すこと。
「木々と日々」(2020年)より
全ては「日々」のことである。他者の悲しみに寄り添うことの「不可能性」について考える。ひとりひとりの場所と時間に、ひとつの像/イメージを与える。それは言葉であり、また記憶でもある。その場に開かれた小さなプロセスに小さな言葉が放たれ、その言葉はあなたの指先に微かに触れる。
2022-07-10 05:26/木戸川河口
糸くずに紛れて 紅に沈むひと日があるなら 夢は夢の場所へ帰るだろう 悲しみは悲しみの場所へ帰るだろう 武田多恵子「合歓」
1 天神岬から山田浜へ
2022年7月10日 日曜日
今回はいつもの木戸駅ではなく、ひとつ先の竜田駅を拠点にする。
宿泊先の天神岬スポーツセンターは岬の高台にある。ここから木戸川の河口と、仮置場があった前原地区、巨大な防潮堤が連なる山田浜、遠くにJERA広野火力発電所(旧東京電力広野火力発電所)が一望できる。高台の小さな公園施設は1992年に開設されたという。この場所からは蔭に隠れて見えないが、北に5キロほど先の楢葉町と富岡町の町界に、東京電力福島第二原子力発電所がある。第二原発は1982年に稼働を始め、現在は廃炉作業が進められている。この地域の振興と原発とには多少の関係があったように思う。
双葉郡楢葉町で帰還が始まる直前の2015年6月、初めて木戸駅と山田浜、そして木戸川を渡った先の緩やかな坂を歩いて天神岬の公園にたどり着いた。去年2021年二月、久しぶりに訪れたこの場所で、コロナ禍で停止していた宿泊施設が営業を再開したことを知る。
施設には温泉が併設され、それはこの地が常磐炭田の最北端であったことと関係がある。木戸駅も竜田駅も、1889年に貨車駅として開設され、それぞれの駅から石炭運搬用の専用軌道が敷かれていたらしい。双葉炭田は、磐城の炭鉱(後に常磐炭田となる)と比べればもちろん規模は小さい。石炭から石油へとエネルギー需要の変化を受けて1956年に閉山し、石炭事業からは撤退した。遺構は残っていないという。常磐炭田は1985年に幕を閉じたが、いずれにしても、現在に至るまで福島の地は首都圏のエネルギーの供給場なのである。
朝4時半。7月のこの時間は、もうだいぶ明るい。海の方へ、新たに開通した広野小高線を折り返すように、急な坂道をゆっくりと下る。目の前に開ける山田浜の海。いつもの風景。赤い乗用車が一台、木戸川の河川敷に停車しているのが見えた。
冊子「うつくしいくにのはなし/理想郷(ユートピア)」は、トトノエル gallery cafe他、銀座のギャラリーナユタで取扱しております。中根のサイトからも購入できます。
うつくしいくにのはなしⅢ 理想郷
中根 秀夫 /写真
後期|2023年11月4日[土]〜11月29日[水]
12:00 ~ 18:00 木・金曜は休廊します
トトノエル gallery cafe
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