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木戸駅と竜田駅と

福島県双葉郡楢葉町は原発20キロ圏内にあり、去年(2015年)9月に町内全域全てが避難指示解除された。(避難区域の変遷について-解説-)。私もほぼ1年ぶりにここ楢葉町を訪れた。−前回の訪問についてはブログ「木戸駅から竜田駅まで」に。

前夜はいわきに宿泊。翌朝、常磐線下り5時49分発の列車に乗る。初めの目的地である木戸駅までは25分で到着。駅の目の前の住宅に「住民無視の建設を中止せよ」との垂れ幕がかかる。ここから木戸川へ向かう道に沿って住宅地を歩き始める。

平日(火曜日)の朝6時過ぎ。小さな通りを次々に乗用車が通過する。その一方で私が「人の気配」を確認したのはわずか3軒、郵便局も小さな商店も閉鎖したまま。家屋や庭を見れば概ね手が入っている様子なので、おそらく多くの「元」住民は、週末を過ごすために避難先から自宅に通うのだろう。ここで「生活」を再開した人はまだまだ少数のようだ。−「避難指示解除後の町内帰還世帯・人数について」によると、前原地区では7世帯14名が帰還。楢葉町全体の帰還率は8.7%。年代で言えば55歳以上の人がほとんどだ。

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木戸川沿いまで歩き、右折して海に向かう。5年前放置されたままの牛舎が痛々しい。遠くに仮置場の白い建物が見える。前回は高台の天神岬から見下ろして、黒いフレコンバッグで広大な畑地が埋め尽くされる風景に驚いたものだ。

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海岸線はもうすっかり姿を変えてしまっている。去年までは海岸にたどり着けたが、今は高い堤防の基礎が海岸線を覆い隠し、工事のため立ち入りができなくなっているのだ。計画書によれば防波堤の高さは8.7m。堤防の手前には盛り土をして防災林を植えるそうだ。−「福島沿岸海岸保全基本計画」(第2 海岸保全施設の整備に関する事項)を参照。

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6月30日付の毎日新聞の記事。東京電力福島第1原発事故に伴う福島県内の汚染土などの除染廃棄物について、放射性セシウム濃度が1キロ当たり8000ベクレル以下であれば、公共事業の盛り土などに限定して再利用する基本方針を環境省が正式決定した。また、環境省の非公式会合で、同5000ベクレルの廃棄物が同100ベクレル以下まで低下するには170年かかる一方、盛り土の耐用年数は70年とする試算が出ているとも。なんということだろう…。番号をつけて整然と並べられた汚染土は防波堤の下にそのまま埋められるのだろうか。

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最後まで残っていた津波に削られた家屋も今は全て取り払われていた。代わりに「津波浸水区間ここまで」の看板が掲げられている。木戸駅へ戻る途中に何台もの車とすれ違う。公用車らしい車は、おそらく現場で指揮をとる役場のものだろう。軽く会釈を返してくれる人もいる。

木戸駅8時19分発。10人程の乗客と入れ替わりに、再度ひとりで電車に乗り込む。車内には想像以上に込み合っていて、皆、次の(現在の)終点竜田駅へと向かうのだ。8時23分着。50人ぐらいが降車。建設関係と思われる会社の朝礼が聞こえる。ここ竜田には町役場もあり、多くはいわき市から通勤してくるのだろう。観光客(?)らしい人が4〜5人。

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福島第一原発まで16キロ。ここ竜田駅より小高駅までの36.6キロ区間は帰還困難地域に入るため、現在不通となっている。竜田駅は高台にあり、去年訪れた時には駅から海が見渡せた。今は土が高く盛られその視線を妨げている。「宅地分譲中」の看板がある。−「楢葉町土地利用計画アクションプラン」によると、「廃炉関連企業等をJR常磐線竜田駅東側の結節拠点に集約し、鉄道や自動車等の移動性や企業活動の効率を高めることが必要。また、企業就業者の居住・生活機能を事業所近隣に整備する。」(p.14)ということだそうだ。

海に向かって降りてみることにした。

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徒歩20分ほどで海に着く。谷あいの小さな集落。工事は始まってはいたが、ここからはまだ海が見える。正直を言えば少し嬉しかった…。海が見たかったのだ。ビデオ

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残酷だなと思う。波は繰り返し打ち寄せるが、時間は5年前から止まったままのようだ。震災では津波で多くの命を失ったが、住む土地まで追われなければならなかったのは原発事故があったからなのだ。住民の方達の失われてしまった時間を私たちはどう償うのだろうか。東京電力管内に住む私たちの電気は福島から来ていたのだ。5年前に私たちは初めてそのことに気づいた。だが、5年経った今、そのことを全く忘れてしまったかのような政策が進められ、そして私たちは結果としてその政策に加担しているのだ。

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竜田駅より先、小高駅までは、現在代行バスが1日2往復している(2015年1月15日より)。10時5分発のバスは国道6号線浜街道を北上する。車内には線量計が設置され、車内の空間線量はモニターされている。


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