奇跡の一本松 陸前高田

JR大船渡線の気仙沼駅~盛駅間は2013年にBRT(バス高速輸送システム)として再開した。鉄路復旧が望まれたが多額の費用の拠出がかなわず、今後もBRTによる運行が続くという。

2月24日土曜日。12:01 気仙沼駅発。数人の乗客とともにBRTに乗り込む。12:27 奇跡の一本松駅着。観光客の利便性をはかり新設されたバス駅だ。小雪が混じる寒い週末の日にこの駅で降りたのはひとりだけ。震災から7年を経て、死者1,556人、行方不明者203人、家屋の倒壊4,046棟という津波の大きな被害を受けた陸前高田に初めて足を下ろした。

復興のシンボル「奇跡の一本松」については説明の必要もないだろう。2013年7月以降、津波に耐えた一本松は、地に根を張った樹齢200年の巨木ではなく、防腐処理が施されコンクリートの基礎の上に移植された避雷針付きのモニュメントとしてそこに立っている。

 

工事現場を囲むように遊歩道があり、その柵越しに一本松を臨む。美術に携わる人間として率直な感想を言えば、それは象徴的な意味での生命を欠いた造形物に見える。物質的な意味で生命を持たないコンクリートの塊でしかないユースホステルの建物が湛える強い「不在の」生命感と比すれば。

インターネットでは、一本の松の木としての命が潰える直前の姿を見ることができる。その画像からは、私たちが立つ地平と絶妙ともいえるバランスを保ち、震災後の陸前高田の人たちと対峙し対話してきた命の姿がひしひしと伝わってくる。だからそれはそれでひとつの役割を終えたのだと思う。

  

しかしだからと言って、この場所に立つ「奇跡の」一本松が、私たちの風景に不要なものだとは決して思うまい。そこには幾つもの時間があり、見上げた幾つもの空があるだろう。語られた幾つもの言葉と、語りえない幾つもの記憶とともに。

震災後、あるいは原発事故の後に、私たちが私たちの中の「傷」を共有し、私たちの内に「傷」を抱えることが許された時期が確かにあった。今はどうだろう。強くあること、復興をすること。弱さは切り捨てられ、あらかじめ規定された二者択一が迫られる。私たちは私たちの再生を、時間をかけて構築すべきではないのか。それは私たちの私たち自身のための対話でもある。

美には傷以外の起源はない。それは個人的なものだが、各々にとって異なり、見えないことも見えることもあり、それは誰もが自らの内に抱え、携え、そしてこの世界から離れて一時的であれ深い孤独へと向かう時に、そこに退避する。

ジャン・ジュネ 『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』より

 


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