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デモにて3

1年前と言えばすでに思い出せないことばかりだが…、2014年7月1日、第2次安倍内閣は集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更を閣議決定した。6月30日と翌7月1日に総理大臣官邸前では大規模なデモが行われた。

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その時、大学生の一団がそろって反対の声を上げているのを目にした。こういう動きは今まで無かったことなのだが、今思えばこれがSEALDsの前身のSASPLだったのだろう。SASPL(Students Against Secret Protection Law)は「特定秘密保護法」に反対する学生有志の会で、「特定秘密保護法」が施行された2014年12月10日に解散。彼らのブログにも6月30日には「特定秘密保護法」と表裏一体である「解釈改憲への反対」抗議行動に賛同して参加した旨が書かれている。


6月27日(土)戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣

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SASPLの後継団体として、SEALDsは6月5日から毎週金曜日に国会前の抗議行動を始めた。ほんの一月前のことだ。私は2週後の19日に初めて彼らの主催するデモに足を運んだ(デモにて2)。SEALDsの行動はまずは「動き」として新鮮だ。なによりシンプルである。立憲主義の観点から戦争法案に反対を唱える、それだけだ。そして何よりも一人一人が自分自身の言葉を持って訴えかける姿には何かを揺り動かす力がある。土曜日の渋谷での街宣行動には各政党(もちろん野党)から応援に駆けつけていたが、やはり学生たちの生の声こそが心に響いた。参考までに、以下のスピーチを。


7/3 (金)『戦争法案に反対する国会前抗議行動』

激しく雨が降る。

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国会前に集まる人の数はあきらかに増えているようだ。ネットを通してアクションの輪が急速に広がり、この日は高校生らしき生徒たちの姿も見かけた。

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メディアでの露出が増え、認知度が上がるしたがってSNSでは心ない書き込みも増える。彼らに向けられた一方的な憎悪と暴力的な言葉は(それは的外れな言いがかりではあっても)彼らの心を傷つけ、それによって消耗もするだろう。2週間前の19日のデモと比べ動員数は増えたものの、一歩引いたところからみれば彼らの行動には多少の疲労も映る。「若者がやっと動き出した」「彼ら自身の問題なのだから」という他人事のようなコメントをメディアに垂れ流す者もいるが(旧学生運動世代に多く見受けられるような気がする)、私たち大人も学生の彼らだけにこの重責を背負わせて良いわけがないのだ。

この日は横湯園子さん(臨床心理学・教育学者)のスピーチがあった。横湯さんは赤いファッションで国会を包囲する『女の平和』ヒューマンチェーンの呼び掛け人だ。およそデモのスピーチらしからぬゆっくりと丁寧にな口調で、ご自身の生い立ちと戦争体験がその後の研究と結びついているという話をされていた。その場にいた誰もが横湯さんの一言一言を聞き漏らさぬよう真剣に聞き入っていた。実はこの日、どういう訳か集団的自衛権に「賛成」の学生がスピーチに立つというハプニンががあり、その場がやや騒然としたのだが、横湯さんはそのことについても(無かったことにはせずに)触れ、学生のとった行動に一定の理解を示しつつもSEALDsの気持ちに強く寄り添うくだりは感動的ですらあった。「言論」とは何か…。

7月15日には戦争法案は強行採決される見込みだ…。私は敢えてこの場でSEALDsのデモへの参加を呼びかけるつもりもないのだけれど、今、ここ国会前が何かを生み出し/生み出されている場(もちろん民主主義も含めて)であって、それを強く実感できる場であることは、多くの人に伝えておきたいと思う。イタロ・カルヴィーノは、遺作となる講義録で新たな「千年紀」の文学にむけて「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」が必要であると述べている。まさに彼らに相応しいくだりではないか。そして金曜日の国会前はちょっと悔しいぐらい高度なアートの場でもある。


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