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デモにて11

お盆明けで参議院での審議が再開。自衛隊の統合幕僚監部作成の内部文書問題紛糾。「積極的平和」を提唱したノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング博士来日。山本太郎議員の示した第三次アーミテージ・ナイ報告書。安倍首相の蓮舫議員への「どうでもいいじゃん」発言。戦争法案に反対する創価学会員の公明党への圧力と彼らに対する圧力。


8月21日(金) 戦争法案に反対する国会前抗議行動


月の美しい夜。秋の気配。

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内田樹氏曰く、安倍政権を支持し、安保法制に賛成して自衛隊を海外に派兵することが、国威の発揚のチャンスであるとともに、ビジネスチャンスであると信じている人たちが今の日本の指導層を形成しており、「戦争」を可能とするためには平和憲法が最大の妨害であり、立憲デモクラシーが非効率だと思っているのだと。悲しいかなこれが日本という国の現実だ。それは実は米国のニーズにも叶うものでもある(2012年の第三次アーミテージ・ナイ報告について)。

終戦の日、あるいは敗戦の日からここ2週間ほど気になっていることがある。私たちのような安保法制反対派はもちろんだが、安保法制の賛成派も自民党支持者で自民党改憲案に賛成する人も、みな「戦争には反対だ」と言うのだ。

「戦争」の定義は人によってまちまちである。戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏によれば「戦争」には「日本が戦場になる戦争」と「日本が戦場にならないと期待できる戦争」の二つがあり、前者を避けるために後者の戦争を肯定することを「戦争回避」と呼ぶ人もいるとのこと。

集団的自衛権の行使を認め、地球の裏側まで行って米国の後方支援と称する兵站に従事するのは「日本が戦場にならないと期待できる戦争」に参加することである。そのことにより自衛隊員は日本以外の国の戦争で命を落とし、またそこで戦争で人の命を奪うことになる。私はそれを許す人間に対し、彼らが「戦争反対」論者だとは絶対に言わせない。

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蓮舫議員が指摘するように、現在審議を進めている個々の法案には一切歯止めがない。10の法案をひとつにまとめて審議が不十分なまま強行採決するのも、また法案に歯止めを掛けたくないのも当然同じ理由であり、要するに「平和安全法制」が「平和」のためではなく、「戦争」を可能にするための「戦争法案」であるからに他ならない。彼女の執拗な追求に、安倍首相は思わず「そんなことどうでもいいじゃん」と、すでに単なる幼稚なヤジと見過ごせない国民にとっての暴言を吐いた。

SEALDsの本日のコール「どうでもいいなら総理をやめろ!」


8月23日(日) 戦争法案に反対する全国一斉行動 〜表参道デモ〜


昨日のこと、銀座で安保法制に賛成する人たちのデモ行進に遭遇した。300人ぐらいはいただろうか。一人ひとりが国旗を手にし年齢層は高かった。旭日旗は無かったが、あからさまに中国を名指しで非難するプラカードをあげていた。

いわゆる「中国脅威論」というのがある。これは日本政府が国内の不満を逸らすため中国の脅威を過度に煽っているに過ぎない。だが中国にとっての反日プロパガンダも全く同じ理論で成り立って訳であり、結局は日中両国民ともが日中両政府に利用されているだけにすぎない。そもそも中国や北朝鮮からの防衛について言えば個別的自衛権で対応する話であり、まずは今回の安保法制における集団的自衛権とは全く関係の無い話であり、それを今回の法案の根拠にするのは筋違いである。

さらに言えば、集団的自衛権を行使し米国の戦争を共に戦うことによって中国の脅威を担保するのは間違いだ。アメリカが中国/日本間で戦争に至る事態が起きた時、米国が日本と共に中国と戦うかどうかについては甚だ疑問である。周知のように米国の参戦には米国議会の承認が必要で、その戦争が米国の国益に叶わないとすれば彼らは決して動かない。ただの島である尖閣諸島を巡り、米国が中国という大事な貿易相手国と戦争するメリットは無い。逆に今回の安保法制によって憲法9条を解釈改憲することによって、日本は米国から戦争参加への要請を断る理由が全く無くなってしまうのだ。

さて前置きは長くなったが、今日8月23日は全国64箇所で戦争法案に反対する行動が行われた。SEALDsとT-ns SOWLの先導するデモの最後尾について、青山公園から外苑前→表参道→原宿と歩いた。デモ参加者は6500人。

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17:00 スタート地点。後方に続く人たち。意外(?)に楽しそう。

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表参道に向かうところ。三色旗は公明党に反旗を翻し戦争法案に反対する創価学会の人たちだ。その後この隊列に加わって一緒に歩いた。

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原宿に向う沿道には本当にたくさんの人たちが足を止め見守ってくれていた。写真もたくさん撮られたが、そういうことも含めデモの意義でもある。

安倍総理は来月3日に中国で行われる「抗日戦争勝利70年」の記念行事に参加をせず、予定されていた習近平国家主席との首脳会談も見送る考えを示した。外交とは何のためにあるのか。総理が求める「積極的平和主義(Proactive Contribution to Peace)」ではなくガルトゥング博士が唱える「積極的平和(Positive Peace)」へ私たちは向かいたい。

「60日ルール」*が成立するのは9月14日。8.30の国会包囲デモは戦争法案廃案に向けての山場になる。

*60日ルール:衆議院で可決され参議院に送付された法案が60日以内に議決されない場合、衆議院は参議院が法案を否決したものとみなす憲法59条4項の規定。衆議院は再議決により法案を成立させることができる(59条2項)。

そういえば最近またヘルマン・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring)の言葉があちこちで聞かれるようになった。ニュルンベルク裁判中のゲーリングへの聞き取りが、心理学者G.M.ギルバート著の『ニュルンベルク日記』に記されている。ゲーリングは死刑判決の後に服毒自殺。

「普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」

Naturally, the common people don’t want war; neither in Russia nor in England nor in America, nor for that matter in Germany. That is understood. But, after all, it is the leaders of the country who determine the policy and it is always a simple matter to drag the people along, whether it is a democracy or a fascist dictatorship or a Parliament or a Communist dictatorship.

Voice or no voice, the people can always be brought to the bidding of the leaders. That is easy. All you have to do is tell them they are being attacked and denounce the pacifists for lack of patriotism and exposing the country to danger. It works the same way in any country.

In an interview with Gilbert in Göring’s jail cell during the Nuremberg War Crimes Trials (18 April 1946)


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