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アッバス・キアロスタミ追悼

イランの映画監督アッバス・キアロスタミが亡くなった。1940年生まれ、76歳だという。『友だちのうちはどこ?』『そして人生はつづく』『オリーブの林をぬけて』や、カンヌのパルムドール『桜桃の味』など、大好きな映画監督なので残念だ。2012年に日本で撮られた『ライク・サムワン・イン・ラブ』の事を書いていたので再掲します。


ライク・サムワン・イン・ラブ

アッバス・キアロスタミ監督


『友だちのうちはどこ?』『桜桃の味』など過去にアッバス・キアロスタミのいくつかの映画を見てきたが、イランではアハマディネジャド政権になって表現活動が制約を受け海外で映画を撮るようになったとも聞く。ともかくも久しぶりに再会したキアロスタミ監督の『ライク・サムワン・イン・ラブ』はとても素敵な作品だった。元大学教授のタカシ、地方出身の大学生の明子、自動車整備工場を営むノリアキ。3人それぞれの人生がわずか1日足らずの間に交錯する。

デートクラブの仕事で横浜に向かうタクシーの中で、明子は彼女に会いに東京に出てきた祖母の留守電を再生する。街の雑踏。ネオンの光。そして駅のロータリーで彼女をひたすら待ち続ける祖母を窓越しに見つめ涙をこぼす。彼女は髪を束ね赤いルージュをひく。タクシーのラジオから流れる曲。

タカシは亡き妻に似た明子が来るのを待っていた。いかにも元大学教授らしい調度の部屋は幹線道路に面していて、かすかに窓の外の音が聞こえる。ランプの黄色い光。煉瓦の壁。壁に掛かる「教鵡」。ひとしきり営業トークをした明子はさっさと自らの仕事を終えるべくベッドに向かう。テーブルの上のキャンドルとワイン、桜エビのスープ。タカシは明子とゆっくりと話をして過ごしたかったようだ。エラ・フィッツジェラルドの「ライク・サムワン・イン・ラブ」。疲れ切って寝入る彼女のためにアンプのボリュームを落とし電話機の線を抜く。

翌朝、社会学の試験を受ける明子をタカシは車で送り届ける。タカシはこの大学で教鞭をとっていたらしい。ノリアキの明子に対する過度な干渉を車の中から心配そうに見つめるタカシ。ノリアキはポケットからタバコを一本取り出し、そしておもむろにタカシの車に近づき窓越しにライターを求める。ここから物語は急激に進行する。

「ライク・サムワン・イン・ラブ」は、「見ること」についての物語である。私たちの視線は明子に向かい、タカシに、そしてノリアキに注がれる。しかし私たちはそこに「見える」もの以外は決して見ることはできない。彼らはそれぞれの人生を生き、その確かな姿は互いの視線の中でしか存在しない。例えばタカシの隣人が小さな窓から彼の行動をうかがうように。しかしタカシはその隣人の視線の外部で生きているのだ。逆に、相手の「見えない」部分を含めてその存在を信じ受け入れること、それが他の誰かを愛するということではなかろうか。明子の祖母が携帯のつながらない彼女を待ち続けるように。また、タカシが明子に注ぐ眼差しのように。

イランの地よりも土ぼこりにまみれた現代の日本に「生きる」ということ。それは意外にも美しい物語なのであった。キアロスタミ監督を支えた日本人による撮影(柳島克己)録音(菊池信之)美術(磯見俊裕)も素晴らしかった。

[09/26/2012]

予告編

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